こんにちはー。くまぽろです。
今回は、古典に手を伸ばそうと思い、あの有名な『ソクラテスの弁明』を読んでみました。
「ソクラテスの弁明」プラトン
著:プラトン
訳:納富 信留(のうとみ のぶる)
★★★★☆
突然、古典&哲学本に挑戦してみました。笑
わたしは友達と4人でだいたい1〜2ヶ月に1回くらい読書会をしているんですが、その会でテーマを「古典」にして、それぞれが読んだ本を紹介しよう!ということになり、古典の有名本が並ぶ中から、「ソクラテスの弁明」を選びました。
哲学おもしろそう、くらいの軽い気持ちで。
正直どんな本か中身を全然知らなかったので、「読んで理解できるんかしら」と思っていましたが、意外にも読みやすかったし、おもしろかったです。
kindle unlimitedの対象だったので、無料で読めました。他にも古典本は、読み放題対象になってるものが多かったです。
kindle unlimitedは初月無料で入会できます〜。
概要
時は紀元前399年。
アテナイ(ギリシャのアテネのこと)の民衆裁判所にて、今まさにソクラテスは裁かれようとしている。
彼は、メレトスら3人に以下の罪状で訴えられた。
「ソクラテスは、ポリスの信ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊のようなものを導入することのゆえに、不正を犯している。また、若者を堕落させることのゆえに、不正を犯している。」
ーーー『ソクラテスの弁明』より引用
被告人・ソクラテスは、この「告発」に対し、「弁明」を行う。
しかし、裁判員である聴衆の怒りを買い、一度目の評決で「有罪」となり、二度目の量刑を決めるための評決で「死刑」を宣告される。
感想
そもそもいつの時代の話かもわかっていなかったので、紀元前の本なのか!と驚いてしまいました。
その頃の著作がちゃんと引き継がれてるって、すごいことだよねぇ。
要は、「ソクラテスが訴えられた裁判で弁明した内容を、弟子であったプラトンが書き残したもの(ただし、プラトンによる創作も含まれている)」です。
なお、このときソクラテスは70歳。プラトンは28歳。
基本的にソクラテスが口語で話しているので、読みやすかったです。
この本では、前半がその「ソクラテスの弁明」の内容自体で、後半は翻訳者・哲学者である納富さんの解説、という形になっています。
弁明では、告発者との対話もはさんで、相手の矛盾を論理的に明らかにしていきます。
(ご存知の方は『逆転裁判』の超古典版だと想像すればいいと思います。まぁ裁判員が怒って認めてくれなくて、逆転できないんだけど…)
そもそもは、ソクラテスさん、なんで訴えられるようなことになってしまったかと言うと、あるとき
「ソクラテスより知恵あるものはだれもいない」
というご神託を受けたんですね。
神様を信じていたソクラテスは、それを受けて
「わたしは自分のことを、知恵ある者であるとは少しも意識していないのに、神様は何をおっしゃっているのだろう」
と考えました。
そこで、世間で知恵があると評判な人たちのところに行って、話してみようと思い立ちました。
「きっと、その人達のほうが自分より知恵があるはずだ」と思って。
しかし、話をしてみた結果、実際にはそうではない、ということにソクラテスは気づきます。
それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。
どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で。」
そして、街のみんなが見ている中で、「あなたは知らないのに知ってるふりしちゃってるよ」ということをその人自身にわかってもらおうと、多くのいわゆる知識人と対話を重ねるんですが、それによってどんどん反感を買ってしまうわけです。
で結果、「あいつは神を敬ってない」とか「若者を詭弁で堕落させている」とか難癖つけられて、訴えられてしまうわけです。
最初は、「そんなことしたら、そりゃ反感も買うよね。ソクラテスちょっとうざくない?」と思っちゃってましたが、読みすすめるにつれて、「いや、ソクラテスが正しいわ」と考えが変わっていきました。
他にもハッとさせられる部分や、わかるわ〜しみるわ〜と思った箇所があったので、いくつか載せておきます。
あなたが言っていることは、立派ではありません。もし、なにか少しでも役にたつ人間が生きるか死ぬかの危険など斟酌すべきだと考えているのでしたら。
むしろ、なにか行動をする時には、そんなことだけを考えるのではなく、正しいことを行うのか、それとも不正を行うのか、善い人間のなす行為か、それとも悪い人間のなすことなのか、それを考慮すべきです。
それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。
死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。
ソクラテスは哲学の営み自体が神の与えた氏名であると理解しており、それゆえ、この法廷という場で死刑を恐れずに哲学を貫きとおすことこそが、神に従う勇気の実践であった。
ーーー『ソクラテスの弁明』より引用。最後のみ解説部分からの引用。
死刑になるとわかっていて言う、こういった台詞はしびれますね。
でもわかるような気がします。だって、そうしなきゃ、自分というものを誇れなくなるから。
ソクラテスは神様に言われてその教えに従った、というふうに話しているけれど、自分を嫌いになるようなことはしない、っていうのは人が幸せに生きるためにものすごく大事なことだと思います。
魂が善くなるように生きろ!
以上!