【書評】糸井重里・邱永漢「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」

こんにちはー。くまぽろです。

例の一級建築士関連のお仕事がめっちゃ忙しかったので、ひさしぶりのブログ更新〜。
読んだけどレビュー書いてない本がたまってます。

今回は、糸井重里さんと邱永漢さんの対談本、
「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」について。

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「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」

お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ (PHP文庫)
著:糸井重里、邱永漢

人物紹介はあとで詳しくしますが、「ほぼ日刊イトイ新聞」などで有名な糸井 重里(いとい しげさと)さんと、日本や台湾での実業家で「金儲けの神様」の異名をもつ、邱 永漢(きゅう えいかん)さんの対談本です。

わたしが読んだときは、kindle unlimited対象だったんですが、いまは対象から外れちゃったみたいです。残念。



 
 
お金の話というと、例えば起業とか、仕事をどう効率的にするかとか、資産運用とかを思い浮かべるけど、もうその次元は超えちゃった感じの話の内容。
常に、お金に絡む話はしているものの、どちらかというと人生観に近い話が多いです。

そもそもふつうの人じゃない糸井さんが話の振り役なので、なんというか話題自体も観点がおもしろいというか。

話の内容的に理解できないところはないし、具体的なエピソードもたくさん出てきておもしろいのだけど、なぜかわたしが住んでるのと同じ世界の話とは思えないような気もしたりして、ふしぎな読後感でした。

もっと時間が経って、未来の自分が読んだら、また違う印象を持つのかなぁ。
 
 

糸井重里ってどんな人?

糸井重里さんは、ちょこちょこメディアにも出てるのでみんな知ってるかな?
もともとはコピーライターで、ジブリ作品などが特に有名ですよね。

魔女の宅急便の「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」とか、
もののけ姫の「生きろ。」とか、
みんな聞けば「あぁ、あれか〜」と思うキャッチコピーをいくつも生み出してます。

あと「MOTHER」というゲームの生みの親でもあります。
わたしが糸井さんを知ったきっかけは、「MOTHER2」です。かなり前のゲームですが、今でも人気が根強いですよね〜。

また、ほぼ日刊イトイ新聞もとても有名なサイトですね。
わたしが大学生〜社会人なりたてくらいのときに、特にすごく流行ってたと思います。
ざっくり言うと、いろんな有名人のおもしろいエッセイが読めたり、こだわりのある商品を紹介して売ったりしてるサイトです。

ほぼ日手帳がすごく有名で、昔はわたしも愛用してました。
いまは紙の手帳をそもそも使わなくなってしまったんですが、あの手帳はほんと大好きでしたね〜。

そもそもこの本読んだのも、わたしが糸井さんが好きなので、ふと目に止まった感じです。
 
 

邱永漢ってどんな人?

わたしはこの本読むまで、邱永漢という人の名前も知りませんでした。

なので、読み始めは
「このお金持ちらしきおじいさん、誰なんだろう」
って感じで読んでました。笑

簡単に経歴を調べたので、まとめてみました〜。

  • 1924年生まれ。台湾出身。父は台湾人、母は日本人。
  • 高校まで台湾、大学〜大学院は日本。大学院を中退し、台湾に戻り、台湾独立運動に関係して政府から逮捕状が出て、香港に亡命。
  • 1948年、香港で、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収める。
  • 1950年、月収が当時の金額で100万円に(おそらく今の価値に換算すると、800万〜1000万くらい)。
  • 1954年に日本に移住。作家としても成功し、1955年に直木賞受賞
  • その後も多様な事業を手がける。200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたことも。
  • 2012年、心不全のため88歳で死去。

月収1000万というものが想像できない。笑
とにかくすごいってことだけわかりました。

もうすでに亡くなられているのですね。
(この本は2001年に刊行され、2011年に文庫化されたようです)
 
 

語録ピックアップ

ここからは、本文の中でおもしろいな、なるほどなと思った言葉をいくつかピックアップして紹介します。

今のお金の哲学のもとは、徳川時代だと思います

邱「日本人は「自分が生きているのは、お金のためではない」という考えを、どうも、美徳と考えているでしょう。
それはどこからきてるかというと、やっぱり、宮仕えからきていると思います。」

— 本文から引用

これは最近読んでいる「インベスターZ」(投資のマンガです)でも出てきて、「おっ」と思った話。

江戸時代、藩の殿様は名目では五千石取りでも、実際は三分の一とかしかもらえてなかったらしい。
五千石はあくまで肩書きや身分を示すもので、実際の懐事情は厳しい。でもそんな中で生きていかなきゃならないから、「金のためにやってるんじゃない」というプライドを生きがいのようにしてきたと。

つまり経済的に苦しいのを藩や民衆の中で正当化するための考え方として、そういうのが根付いていったんじゃないかという話。
なるほどなぁ。

株式上場をするほど落ちぶれていないです

邱「今日も本読んでたら、「株の公開をするほど落ちぶれてはいない」とあるドイツ人がいったという一節を読みました。
「上場するというのは、会社の身売りをすることだから。」ぼくも…自分のしていることについていちいち人に釈明するのがイヤなんですよね。

— 本文から引用

上場をそんなふうに考えたことなかった。笑
でもたしかにそのとおりで、大きな事業をやるためにはお金が必要なんだけども、もしそのお金があれば、いちいち株式公開していろんな人に口出されることを選ばないよね。

東証一部上場!とか聞くと、それが一種のステータスのように響いちゃうけども、この考え方は至極そのとおりだと思った。

人生そのものがゲームです

糸井「邱さんの思想のようなものは、何を考えることから生まれているんですか?」
– 中略 –
邱「やっぱり、ぼくなりに面白いことをやることですよ。」
– 中略 –
糸井「ぼくも「面白いからです」といってきたんですけど、そういっていると、「あいつは貴重で大事な人間だとか人生だとかっていうものを、ゲーム感覚で遊んでいる」っていわれるんです…。」
邱「でも、人生そのものがゲームなんだもの。

— 本文から引用

このやりとりめっちゃ好き。そして、とても共感できます。

わたしが最初にそういう気持ちになったのは、たぶん大学受験のとき。めちゃくちゃ勉強してたし、やっぱり大変ではあったけど、自分がどこまでやれるのだろう、というゲーム感覚でやってました。
最初にスタートアップをやりはじめたときも、いま自分のビジネスを持とうとがんばってることも、同じ感覚だと思います。

生きているうちに、楽しいと思うことを一生懸命やりたいんですよね。
 
 

おわりに

語録見ただけでも、対談の雰囲気が少し伝わるんじゃないかなーと思います。

タイトルと話の中身がちょっと離れている感じがするのもあって、かなり人によって感想が分かれそうな本ではあります。
が、ふだんあまり考えない観点の話で、じわじわためになるような…?
 
 
少しは仕事が落ち着いたので、また少しずつブログ書いていきます。
以上!