こんにちはー。くまぽろです。
少し前までは「吉田松陰」のことを、ほとんど名前しか知らないくらいだった私ですが、最近とある講座を聞いて非常に感銘を受けました。
今回は、その吉田松陰が著した『講孟余話』の現代語訳の本を紹介します。
「講孟余話〜吉田松陰、かく語りき」吉田松陰、松浦光修
講孟余話〜吉田松陰、かく語りき
著:吉田松陰(よしだ しょういん)
編集・翻訳:松浦光修(まつうら みつのぶ)
★★★★★
毎日のように読んで、自分の血肉にしていきたいと思わせる一冊でした。
一言で言うと、「いかに生きるべきか」を説いた本だと思います。
kindle unlimited対象本となっているので(2022/8月現在)、ぜひ気になる方は読んでみてください。
吉田松陰ってどんな人?
吉田松陰(1830-1859)は、長州藩(現在の山口県)生まれの武士で、江戸時代の終わりに、外国の脅威から日本を守らなくてはならないと奮起し、言論活動や教育活動を行なった人物です。
松陰は、弟子の金子重之助とともに、嘉永7年(1854年)、来航したペリーの船に乗船を求め、「どうか私たちをアメリカに連れて行ってください。私たちは自分たちの目で世界を見て回りたいのです」と訴えました。
しかし断られてしまい、海岸に送り返された二人は、江戸幕府の鎖国命令に違反した罪で自首し、投獄されました。
そして、その獄舎の中で
「日本とは何か、人はどう生きるべきか、日本に押し寄せてくる外国に、どう対処したらよいのか」
などの講義を始めました。
松陰が大きな声で話すので、はじめはただ仕方なく聞かされていた他の囚人たちも、次第に興味を持って耳を傾けるようになり、やがて感動しはじめ、ついには涙を流すようになりました。
牢を移される護送の最中も、牢の番人の前でも、松陰はずっと語り続け、聞く者の心を動かしました。
29歳で死刑となってしまいますが、刑の直前もとても落ち着いていて、本当に立派な最期だったようです。
『講孟余話』もこのように獄中で『孟子』という古代シナの古典について講義した際の「講義録」のような本になります。
引用と感想
自分を省みさせられる話がとても多く、紹介したい言葉が山ほどあるのですが長くなりすぎてしまうので、特に好きな部分にしぼって紹介したいと思います。
以下、色で囲った四角はすべて、本書からの引用部分です。
1つめは、講孟余話に入る前の前談なのですが、獄中で学問をすることについて、弟子の金子重之助(以下の文中での渋木くん)に語った部分。
その時、死を覚悟しつつ、渋木くんにこう言いました。
「今、ここ(注:獄中)で読書をすること……それこそ〝ほんとうに学問をする〟ということなのです。
昔、シナの前漢の時代に(中略)時の第九代の皇帝である宣帝の怒りにふれ、獄に入れられた夏侯勝と黄覇という人がいます。
夏侯勝は儒学者でしたから、黄覇は夏侯勝に『学問を教えてください』と言いました。
しかし、夏侯勝は、『じきに死刑となる私たちが、今さら学問でもないでしょう』と言います。
すると、黄覇はこう言いました。
『「論語」という古典には、「もしも、ある日の朝、正しい生き方を知ることができたら、その日の夕方に死んでも悔いはない」とあります。
ですから、なるほど私たちは、いつ死刑になるかもわからない身の上ではありますが、ぜひとも今、学問を教えていただきたいのです』
夏侯勝は、その言葉に感動して、ようやく学問を教えることにしました。
(中略)
ですから今、私たち二人も、前漢の時代のその二人にならい、明日はどうなるかわからない身ではありますが、ひたすら学問をつづけていくべきではないでしょうか」
生きることに対する向き合い方や、学問に対する向き合い方の話は、講孟余話に多数出てきます。
本を読むことも勉強も好きな自分としては、刺さる話がすごく多かったです。
人格の高潔な人は、「自分を向上させるため」に学問をしますが、それとは逆に、人格の低劣な人は、「他人に認められるため」に学問をします。
世間で有名な知識人の方々には、「他人に認められるため」に学問をして、学会で認められたり、テレビや新聞で取り上げられたりすることにだけ意義を見出している人も多いのでは…。
もちろん他人に認められることは嬉しいことではあるけれど、それが目的になってしまっては違うということですよね。
自分もそうならないように、この言葉を忘れてはならないと思いました。
また、〝行うこと〟にかたよって、〝知ること〟をしないのなら、その人は、真の意味で〝行うこと〟ができていません。
ですから、〝知ること〟と〝行うこと〟は、二つのことのように見えて、じつは一つのことなのです。
知ったら行動しなくては意味がないし、本当に知ったことにはならない。
また行動してばかりで知ることをおろそかにするのも、本当に行動しているとは言えない。
松陰は、本もものすごい量読んでいたようですが、その上で、日本を守るためなら自分の身はどうなってもかまわない、という行動をたくさんしてきました。
むしろ自分が志を貫いて死んで見せれば、心ある人たちが遺志を継いで動いてくれるだろうと考えていたような人です。
読んでいて、心意気をひしひしと感じる部分が多く、なんというか、居ても立っても居られないような気持ちになるというか。
そういうのを感じさせてくれるものがやっぱり良い本だなって思いますね。
自分が何のために読書しているのか、勉強しているのか。
この本は度々読み返します。
以上!