こんにちはー。くまぽろです。
今回は、前から読んでみたいなと思っていた有名な小説『1984』を紹介します。
何気にくまぽろの生まれ年だったりする・・・笑
「1984」ジョージ・オーウェル
1984
著:ジョージ・オーウェル
翻訳:田内 志文(たうち しもん)
★★★★☆
心の内側以外はすべてを監視される社会を描いたディストピア小説です。
書かれたのは1949年、第二次世界大戦から4年後とかなり前なのですが、デジタル化が進む今、むしろこの本の警告をリアルに感じると話題になったりしていますよね。
2024年11月現在、kindle unlimited対象本となっています。
概要
オセアニアは、ビッグ・ブラザー率いる一党独裁制。
市中に「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている」と書かれたポスターが張られ、国民はテレスクリーンと呼ばれる装置で24時間監視されていた。
党員のウィンストン・スミスは、この絶対的統治に疑念を抱き、体制の転覆をもくろむ〈ブラザー同盟〉に興味を持ちはじめていた。
一方、美しい党員ジュリアと親密になり、隠れ家でひそかに逢瀬を重ねるようになる。
つかの間、自由と生きる喜びを噛みしめるふたり。
しかし、そこには、冷酷で絶望的な罠がしかけられていたのだった――。
全体主義が支配する近未来社会の恐怖を描いた本作品が、1949年に発表されるや、当時の東西冷戦が進む世界情勢を反映し、西側諸国で爆発的な支持を得た。
1998年「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に、2002年には「史上最高の文学100」に選出され、その後も、思想・芸術など数多くの分野で多大な影響を与えつづけている。
ーーーAmazonより引用
感想
ストーリーの主になる部分のネタバレは控えて、感想を書きますね。
読んでいて直接的に怖いというよりは、小説の中だけじゃなく実際に起こり得そうでじわじわ怖くなってくる感じです。
まず世界観を補足すると、上の概要にも書いてあるとおり、テレスクリーンというのが常にどこでも壁に設置されていて、電源を切ることは許されません。
絶えずそのテレスクリーンで公共放送が流れています。
ニュースで「戦争でxxの地域で勝利を収めた」「今度チョコレートの価格が上がる」など放送があり、音楽が流れたり、体操の時間があって必ず体操しなきゃいけなかったり。
そして、常にそのテレスクリーンは国民を監視しています。
仕事しているときも、ごはんを食べているときも、寝ているときも。
体操の時間も家で怠けて適当にやっていると、突然名前を呼ばれて「もっと大きく手を上げて」と指示されたりします。
1つめの怖さは、完全な情報統制社会。
ニュースで流れる情報が嘘であるどころか、過去のニュースも最新の情報に合わせて書き換えていきます。
例えば、仮に先月ニュースで「今年の小麦の収穫量は100の見通しだ」と言っていたとすると、実際の収穫後「今年の収穫量は80だ」と放送され、記憶では「あれ?80%になってるじゃん」と思っても、先月のニュースを見返すと「今年の小麦の収穫量は80の見通しだ」にすり替わっている。
独裁者であるビッグ・ブラザーがまさか間違ったことを言うわけがない、そのためには過去だって書き換える、ということです。
自分の記憶を元に「おかしい」なんて言おうものなら、周りから白い目で見られ、逮捕される可能性も大いにあります。
そんな社会で主人公は、自分の部屋のテレスクリーンに映らない隅っこで、「おかしい」と思ったことをノートに書き留めはじめます。
ノートに書くなんて、それが見つかりでもしたら逮捕や拷問も免れられない。それがわかっていて、それでもなお書きたい衝動が抑えられない。
いやぁ、もうテレスクリーンの視界の外で何かやってる時点で疑われそうで怖いですよね。。
また、この主人公、仕事は何をしているかと言うと、まさに過去のニュースを書き換える職務についているんです。
ニュース書き換えなんて無理だろう、大袈裟だなと思うかもしれませんが、今の現実の世の中だって、歴史認識なんて戦勝国が大いに書き換えてますからね。
その書き換えられた歴史を敗戦国の子供たちは学校で習うわけです。
どこかで聞いた話だなぁ。。
2つめの怖さは、家族の破壊と子供への洗脳です。
この世界では、普通の恋愛は禁止です。
だけどもちろん子供を産んで育てないと滅んでしまうから、夫婦になり、子供を産み育てる義務があるわけです。
これ聞いただけで、「なにそれ気持ち悪っ」ってなりますよね。
そして子供は生まれたときからずっとテレスクリーンの元で過ごし、ビッグ・ブラザーの教え以外を知りませんから、一番忠実な国民です。
大人は何か不審な行動や、ビッグ・ブラザーや党に疑問を持つような素振りがあれば、誰に通報されるって、自分の子供に通報されるわけです。
どこに幸せがあるんだ、この世界は。。
そして最後、3つめの怖さは言葉や概念の喪失です。
この本で一番なるほどと思ったのはここで(なるほどっておかしいけど。笑)、党が言語自体を変えようとしているんです。
舞台はオセアニアという国の名前になっていますがイギリスをイメージして書かれていて、元々の言葉として英語があるけれど、それをずっと簡略化したニュースピークという言葉を党が作っています。
日本語で説明しますが、例えば「良い/悪い」やその程度を表す言葉ってものすごくいろいろな表現がありますよね。
「最高!」「なかなかいい」「まあまあ」「悪い」「全然だめ」などなど、挙げればもっとたくさんあります。
これをニュースピークでは、「良い」「否定」「倍」「倍々」だけで表せられるでしょ、って言葉を絞るんです。
最高! → 倍々良い
なかなかいい → 倍良い
まあまあ → 良い
悪い → 否定良い
全然だめ → 否定倍々良い
こんな感じで、あらゆることにおいて言葉を削り、語彙を減らす。
また党にとって都合の悪い、国民に考えてほしくない言葉もなくしてしまう。
思考は言語に依存しているから、言葉をなくすことが異端思想をなくすことであると考えているわけです。
このニュースピークについては小説内でも細かく解説されているんですが、考えさせないために語彙を減らすという発想に背筋が寒くなりました。
歴史観、LGBT教育など、現実の世の中も程度の差こそあれ似たようなことが行われているのではないでしょうか。
言葉や思考の面でも、例えば漢字を簡略化し元の意味がわかりづらくなっていたり、検索やAIに頼り自分の頭で考えなくなっていたり、ゆっくり少しずつ考える能力の土台を失っていっている気がします。
やはり時代を経ても残る本は、読みがいがありますね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
以上!